Mikiko Minami’s colum

第1回 南さんのことについて教えてください!

◆南さんはテレビ朝日のアナウンサーとして入社されたとのことで、当時の「女子アナ」も今のように華やかな世界でしたか?

「女子アナ」というと良くも悪くも近年注目の存在です。タレント顔負けの活躍ぶりで、その仕事だけでなく、華やかな恋愛や結婚がメディアの耳目を集めています。
私がテレビ朝日にアナウンサーとして入社したのは今から約40年前、1977年のことです。当時、特に民放において、女性アナウンサーで顔と名前が一致する人は皆無でした。女性アナウンサーの活躍と女性の社会進出は重なっているように思います。つまり、女性アナウンサー=男性アナウンサー・男性司会者の添え物的存在で、ほとんど台詞の割り当てもなくニコニコしながら頷くだけの存在でした。それほど「女子アナ」の地位は低く、一人でやらせてもらえるのは天気予報くらいのものでした。視聴者の方々からは、「お天気お姉さん」と呼ばれるくらいで、固有名詞では呼ばれませんでした。
そんな傾向を打破したい!強い思いを持って私はアナウンサーになりました。

◆「テレビ局のアナウンサー」というと、狭き門と感じますが、アナウンサーになるまでには、やはり大変な道のりでしたか?

実は大学時代に、唯一学生がテレビに出られるアルバイトがありました。そこで、徳光和夫さんという当時まだ若かった日本テレビのアナウンサーに出会い、ご指導いただく機会を得て、「自分の言葉で語る徳光さんのようなアナウンサーになりたい」と熱望するようになりました。そして、大学3年生の時、1学年上でアナウンサー志望の先輩について行き、テレビ朝日でアナウンサー試験の願書を入手しました。本番は翌年ですが、下見のつもりでチャレンジできないものかと思い、大学の学生課で大学2年生までの修了書を出してもらい、短大生の資格でアナウンサー試験を受けさせていただきました。

◆短大生の資格でアナウンサー試験が受けられるとは、珍しいケースですよね。

当時はテレビ朝日だけに女性の短大卒採用枠がありました。そのあとすぐに廃止になりましたし、厳密には4年生大学の2年修了者と短大卒は同等ではないはずですが、受験できたのはラッキーとしかいえません。運よく最終選考を通過し、大学を3年で中退し、テレビ朝日に入社しました。ちょうどテレビ朝日がモスクワオリンピックの独占放送権を取得した年で、異例のアナウンサー大量採用があり私には9名の同期がいます。私のような中途半端な経歴の採用も認められたのはこのような背景があります。しかし、“夢を実現しようという強い意志を持って生きていればチャンスは思わぬ形で掴めるということ”をこの時実感できました。大量採用とはいえ、同期は今なお活躍中の人もいて才能と個性あふれる逸材ばかりです。その代表格が古舘伊知郎さんで、大切な友人の一人です。

◆「夢」のアナウンサー生活のはじまりですね!入社後はどのような番組を担当されたのでしょうか?

入社してからの私はとにかく“目立つ場所で能力を発揮したい”という一存で、上司や制作現場に直訴して、当時では女性アナウンサーが配属されることのない芸能番組に多く出演するようになりました。芸能人と共に番組に出演し、世間からも注目されるようになるという意味では、私は「元祖女子アナ」だと思います。しかし、自分の前に誰も同じ道を歩く人のいない、前人未到の道を踏み固めて歩いていくには多くの困難が伴いました。

◆どのような困難がありましたか?

まずは、経済的な問題です。今でこそ、アナウンサーにも番組出演にあたりスタイリストがついたり衣装のタイアップ貸与が当たり前になりました。テレビ局のヘアメークさんも最先端の感性と技術を持つ人が多くなってきましたので、本番前のヘアメークは自腹を切る必要がありません。
私が歌番組やバラエティー番組に出演していたころは、画面に出るときの洋服の心配をしてくれる人など誰もいませんでした。一緒に出演する歌手やタレントさんたちは高額なギャランティを稼ぎ、自前のスタイリストをつけている大物も多数いました。そんな人たちと並んで登場するのに、一人だけみすぼらしい服装というわけにはいきません。幸い私は実家から出勤していたので、生活費はかかりませんでしたが、それでも安かった当時のお給料で買えるのはせいぜいスーツ1着半くらい。悩んだあげく、知り合いに当時大流行だったDCブランドグループの社長さんを紹介していただきました。有難いことにこの社長さんにお願いしたら、傘下のブランドのお洋服を出演時に借りられるよう取り計らって下さいました。毎週菓子折りを持ってPR室に洋服を借りに行き、終わるとすぐに返却に伺う。今でいうスタイリストの仕事も自らこなしていました。

◆自らスタイリストまでこなすとは・・・。ほかに苦労されたことはありましたか?

ヘアメークに関しても苦労がありました。当時は美粧室に控えていたのは年配の床山さんばかり。どちらかというと、時代劇のかつらをかぶせたり舞台化粧が本職の方々です。近隣の美容院でブローしてもらうしかありませんが、やはり先立つものの心配がつきまといます。当時厚生課から美容院のヘアセット券が一人月2枚出ていましたので、スポーツ実況がメインで顔出しのない古舘さんや後輩の男性アナウンサーからセット券を譲ってもらっていました。サラリーマンでありながら世間的にはタレントであるジレンマも多くありました。

◆自分で道を切り開いていくとは、すばらしいですね!
南さんは「美容」や「健康」にとても関心を持たれているとのことですが、関心を持たれたきっかけを教えてください。

仕事には恵まれ、有名にもなりましたが、あまりの激務で身体を壊したこともありました。元来、美容には人一倍関心があり、ヘアメークさんの持つような大きなメークボックスを持って通勤していました。しかし、病気をきっかけに、“美というのは単に化粧品やメークに頼るだけではダメで、健康という土台無くしては花開かないこと”を強く実感しました。
健康を取り戻すため、一時期、さまざまな療法や漢方薬・サプリを試しましたが、基本は「食事・運動・睡眠」にあるということに目覚めたのが独立することを決めた30歳の時です。20代の頃の私は、食事の偏りが激しく、野菜には見向きもせず、食べるのは肉や甘いものばかり。明け方まで飲み歩くこともあり、仕事柄睡眠時間も不規則そのもの。運動は大っ嫌いで、プールの水に顔をつけることもできませんでした。そんな私が健康的で自分自身で管理できる生活がしたいと強く願うようになり、そんな理由もあって、入社9年目弱で独立しました。1986年のことです。この年「男女雇用機会均等法」が施行され、同年スタートした「OH!エルくらぶ」というOL向きの番組の司会を当時作家だった田中康夫さんと務めました。ちょうどOLの方々が男性と肩を並べバリバリと仕事をする時代の到来と重なり「OLの教祖」的に扱いました。よって、独立してからの仕事も順風万帆でした。テレビのレギュラーも多く抱え、雑誌の連載を13本持っていた時もありました。

◆バリバリのキャリアウーマンですね!私生活も充実されていましたか?

時はバブルの時代。私生活もバブリーな独身貴族そのものでした。年に1回はヨーロッパ、年2~3回は香港にブランド品の買い出しに出かけて、洋服やバッグをごっそり買いあさっていました。当時は香港のセントラルのブティックあたりではちょっとした顔でした。円高、株高の恩恵を受け、あれだけ買い物に夢中になった時期が今となっては懐かしく、反面、愚かしくも感じられます。
ただ、生活は完全に健康志向のものにシフトしていました。玄米採食を試したり、スポーツジムに入会し、1日1キロ泳ぐようになっていました。フリーになると、将来の保証がない分、仕事は自分である程度コントロール可能です。無理なスケジュールはなるべく入れないように務めました。

◆南さんは結婚・出産を経験されて、今もずっと仕事を続けられてますね。

39歳で結婚。入籍してすぐに妊娠し、40歳の終わり近くに男の子を出産しました。今でこそ、40歳を過ぎての高齢出産は珍しくありませんし、働くタレントママも多数います。でも当時はどちらも稀少な存在だったので、注目を集め、トークショーなどでも引っ張りだこでした。現在息子は19歳ですが、この20年弱は子供の成長に応じて仕事をセーブしなければならず、最盛期から見たら細々ではありますが、ずっと仕事を続けています。出産後の2か月休んだだけで、40年近く休みなく働いています。
“仕事をすることは空気を吸うことと同様に私にとっては当たり前なこと”なので、これからも目の黒いうちは仕事を続け、発信し続けていこうと思っています。

~バイタリティーあふれるお話を聞くことができました。次回のコラムもお楽しみに!~

ワンポイントアドバイス

-美容のワンポイント- 糖質は極力控える

甘いものの食べ過ぎというと、どうしても太ることと結びつけてしまいますよね。もちろん、“糖分の摂りすぎはダイエットの大敵”です。ご飯・パン・パスタなどの炭水化物やお菓子など甘いものである糖質を控えただけで、体重は驚くほど減るものです。私は『ソフト糖質オフの生活』を実践しています。お菓子は極力食べないようにしていますが、日中はご飯やパスタも食べます。また、お付き合いでフルコースのデザートをいただくこともあります。しかし、時折完全な糖質オフの生活を10日ほどしてみると、あっという間に2キロ近くの体重が落ちます。ですが、あまり厳格な糖質オフはストレスにもなり、人間付き合いも悪くし、時には危険なことさえあります。
一方で、現代の我々の食生活は、余程心しないと糖質過剰に陥ってしまいます。デザートブッフェで甘いものをしこたま食べるなどというのは、美容の観点からも命とりです。余分な糖がタンパク質と結びついて、“糖化”という現象をおこします。この糖化によって、皮膚のごわつきやたるみが加速します。砂糖はいわゆる中毒症状に陥りやすいので、まずは“甘いものを常時食べる習慣を断ち切る”こと。口寂しくなったら、ナッツ類やチーズをかじる。習慣付けると意外と慣れるものです。そして、精白した穀類ではなく、玄米・大麦などに置き換えてみる。美容通の間では、糖質制限は既に当たり前の習慣になっています。

profile フリーアナウンサーエッセイスト 南 美希子(みなみ・みきこ)

1956年、東京都生まれ。聖心女子大学国語国文科3年時にアナウンサー試験に合格し、テレビ朝日に入社。情報・クイズ・歌番組などを主に担当し、特に伝説のOL向け情報番組「OH!エルくらぶ」の司会を長年務め「元祖女子アナ」として広く知られている。
現在は、テレビ・ラジオをはじめ、エッセイストとしても活躍中。ビジネススキル、美容、恋愛、女性の生き方、ワークライフバランスなどをテーマに講演も行なう。